食べないから弱るのではなく、弱ったから食べなくなる時期がある
これまでの記事では、「食べられるようにする」ための方法を書いてきました。しかし、人生の最終段階では、考え方が変わります。
老衰や進行した病気の終末期には、食べないから弱るのではなく、体が終わりに向かっているから食べられなくなるという順番になります。この時期に無理に食べさせると、次のことが起きます。
食べさせることが、必ずしも本人のためにならない時期がある。これは受け入れがたいことですが、事実として知っておく必要があります。
重要な注意点があります。食べられない原因が、治療できるものであることは非常に多いのです。
「もう年だから」で片づけないでください。まず医師に診てもらい、治せるものがないか確認する。そのうえで、終末期と判断された場合に、この記事の話になります。
口から食べられなくなったとき、次の選択肢が示されます。
| 方法 | 内容 |
|---|---|
| 点滴(末梢静脈) | 水分と少量の糖分。長期の栄養維持はできません |
| 中心静脈栄養 | 太い血管から高カロリー輸液。感染の危険があります |
| 経鼻胃管 | 鼻からチューブ。不快感が強く、自己抜去も多い |
| 胃ろう | 腹部から胃へ。管理は比較的容易。回復が見込める場合は有効 |
| 何もしない(自然経過) | 口から食べられる分だけ。苦痛は少ないとされます |
どれが正しいという答えはありません。回復が見込めるのか、本人が何を望んでいたのか、家族が納得できるか。この3つで決まります。
胃ろうは「悪いもの」と語られることがありますが、回復期に一時的に使い、口から食べられるようになって外す例も多くあります(経管栄養から口へ)。一律に否定するのは誤りです。
この判断を、意識がなくなってから家族が迫られるのは、非常に苦しいことです。元気なうちに話しておいてください。
「縁起でもない」と避けられがちですが、話しておくことは、残される側を守ります。
栄養を摂ることが目的でなくなっても、口から味わうことには意味が残ります。
食事は栄養補給の手段であると同時に、生きている実感そのものです。最後の時期に、その両方を切り分けて考えられると、選択が少し楽になります。
家族だけで抱えないでください。迷って当然の判断です。専門職と一緒に考えてください。
終わりに近づく時期には、食べる量が自然に減っていきます。この過程を知らないと、家族は不必要に自分を責めることになります。
この時期の食欲の低下は、栄養が足りないから起きるのではありません。体が、必要とする量そのものを減らしているという見方があります。だからこそ、無理に食べさせても、体は受け付けません。
飲み込む力も落ちていきます。この段階で無理に口に入れると、誤嚥して肺炎になり、かえって苦しい時間を長くすることがあります。量を入れることが、本人のためになるとは限りません。
そして、水分も同様です。体が処理できる量を超えて水分を入れると、むくみや痰の増加につながることがあります。この点は、医療者と相談しながら判断されます。
この過程は、多くの場合、自然なものです。家族の世話が足りなかったから起きているのではありません。この理解が、家族を守ります。
家族の善意から、無理に食べさせようとする場面がしばしば起こります。その害を知っておいてください。
食べたくない状態で口に入れられることは、苦痛です。飲み込めないものを入れられれば、むせ、苦しくなります。本人にとって、食事の時間が苦痛の時間に変わります。
誤嚥のたびに、肺炎の危険が高まります。肺炎になれば、発熱、呼吸の苦しさ、点滴や吸引といった処置が必要になります。穏やかに過ごせたはずの時間が、苦しい時間になります。
そして、食事をめぐって家族と本人の関係が悪くなることがあります。食べさせようとする家族と、拒む本人。最後の時期に、この対立が残ることは、家族にとっても後悔になります。
だからこそ、食べないという選択を、失敗として扱わないでください。食べられない時期に入ったという事実を、受け止めることが必要になります。この判断は家族だけで背負うものではなく、医療者と一緒に行うものです。
量を入れることが目標でなくなっても、口から味わうことには意味が残ります。安全な範囲での関わり方があります。
好きだったものを、ひと口だけ。飲み込めなくても、味を感じることはできます。ガーゼに含ませて口の中を湿らせる、少量を舌に乗せる。こうした関わりが可能な場合があります。
香りも、感覚に届きます。コーヒー、果物、だし、みそ汁。飲み込めなくても、香りをかいでもらうことで、表情が変わることがあります。
ただし、何をどこまで行ってよいかは、必ず医療者に確かめてください。状態によっては、少量でも危険な場合があります。家族の判断だけで行わないでください。
そして、本人が嫌がるなら、やめてください。家族の願いのために続けないでください。表情、口の開き方、反応。言葉が出なくても、本人は意思を示しています。
食べる量が減った時期にこそ、口の中のケアが重要になります。ここは家族にもできることです。
口から食べていないと、口の中は乾き、汚れます。唾液が減り、自浄が働かなくなるためです。この状態は、本人にとって不快であり、感染の原因にもなります。
湿らせるだけでも、大きな意味があります。スポンジや専用の道具で、口の中を優しく拭き、湿らせる。乾燥による痛みが和らぎ、表情が落ち着くことがあります。
そして、これは家族が関われる数少ない世話の一つです。食べさせられないことに無力感を抱く家族にとって、口の中を整えることは、確かな関わりになります。やり方は、看護師に教えてもらってください。
力を入れないでください。粘膜は非常に弱くなっており、こすると出血します。優しく、短時間で。回数を分けて行うほうが負担が少なくなります。
この時期の判断は、家族だけでは負いきれません。医療者と共有しておくべきことがあります。
まず、いまの状態がどの段階なのかを聞いてください。回復が見込める一時的な低下なのか、終わりに向かう過程なのか。ここが分からないまま判断すると、迷いが残ります。
次に、水分や栄養を人工的に入れる選択肢について聞いてください。点滴、経鼻の管、胃ろう。それぞれに利点と負担があります。入れないという選択も含めて、説明を受けてください。
そして、本人の意思がどうであったかを伝えてください。元気なうちに話していたこと、書き残していたこと。これがあれば、判断の支えになります。
迷ったときは、決めた内容よりも、どう考えて決めたかが重要になります。本人にとって何が良いかを、医療者と一緒に考えた。この過程があれば、あとで振り返ったときの後悔が小さくなります。
この時期、家族は強い感情を抱えます。この点にも触れておきます。
「食べさせてあげられなかった」という後悔は、非常に多くの家族が抱えます。しかし、食べられなくなったのは、家族のせいではありません。体が受け付けなくなったという事実は、誰にも変えられません。
周囲から「食べさせないの」と言われて傷つくこともあります。事情を知らない人の言葉です。医療者から説明を受けていれば、そこに根拠があります。揺らがなくてよいのです。
親族のあいだで意見が分かれることもあります。点滴をするかしないか、管を入れるか入れないか。この場合、医療者から全員に説明してもらう場を設けてください。一人が説明役になると、対立を背負うことになります。
そして、看取ったあとに悔いが残ることは、避けられない面もあります。「あのときこうしていれば」という思いは、多くの人が抱きます。そのときにできる判断をしたという事実を、支えにしてください。
この時期の判断を、実際にその時になってから考えるのは困難です。元気なうちの話し合いが効きます。
食べられなくなったときにどうしてほしいか。点滴を望むか、管を入れることを望むか、自然に任せることを望むか。本人の考えを聞いておくことには、大きな価値があります。
話しにくい話題であることは確かです。しかし、本人が判断を示せなくなってから家族が決めるほうが、はるかに重い負担になります。切り出し方に迷うなら、報道や身近な出来事を糸口にする方法があります。
書き残す形もあります。意思を書いておく用紙が、市町村や医療機関で用意されている場合があります。形式は問われません。書いたものがあれば、家族の判断が支えられます。
そして、一度決めたら変えられないものではありません。気持ちは変わります。定期的に話し直してください。大切なのは、本人が何を大事にしているかを、家族が知っていることです。
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